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弟が死んだ話2

家族の話

空港から病院に直行するつもりだったが、弟の遺体はもう家に帰ってきたという。
空港から実家に帰るまでの電車の中で、涙が止まらなかった。真っ暗な窓の外を見ながら、子供の頃のことばかり思い出していた。

弟は3歳年下だ。要領の悪い長女の私とは対照的に、何もかもが問題のない子だった。親に怒られるのはいつも私で、母の膝に乗れるのは弟だった。常にガミガミと怒られる私を横目に、「なんでねーちゃんはいつも余計なことやるかな」という顔ですまして見ていた。
それを大人になった弟に言ったら、「親が大事にしてるのはねーちゃんて。俺、そがん怒ってもらっとらんもん」と言っていたので、子育てとは難しいもんだと思う。
私は怒られすぎて歪んだし、弟は怒られなさすぎたことが不満だったのだ。

これは蛇足だけど、私はミュージカルの『キャッツ』で歌われる『メモリーズ』を聴くと無条件で号泣する。年老いて誰からも相手にされなくなった元娼婦の老猫が、「誰か私を抱きしめて」と歌い上げる歌だ。
私はずっと誰かに抱きしめてほしかったけれど、母が膝に乗せて抱きしめる相手は弟だったから、ずっと隣で我慢していた。母はベタベタされるのが好きではなかったから、あまり触らせてもらえなかった。でも、布団に入るときに足を絡ませるのだけは嫌がらずにいてくれた。あれだけが、私が許された唯一の母とのスキンシップだった。
お互いに、お互いをうらやましいと思っていたのだ。これはもう弟には言えないけれど。

ここまで書くとどんなにひどい親かと思われるが、親は親なりに私たちをちゃんと愛してくれていたと思う。ただ、不器用だった。愛情表現が、我々姉弟が求めているものと親との間で絶望的にズレていたのだ。仕方ない。姉弟ですらまったく違うものを求めていたわけだし。私も親になったので実感しているが、どう頑張ったってそこは100%満足させることは不可能だ。私も私で、親に「抱きしめてほしい」なんてひとことも言わなかった。そんな願望があったことすら、気がついたのはさんざん男に失敗した後だった。
教師だった両親の愛情表現のひとつは、いろんな場所に旅行に連れて行ってくれることだった。でもそれは修学旅行のように詰め込んだスケジュールで、観光というよりは社会科見学といった趣だった。
あるとき弟が大きなボストンバッグを抱えているので「どうしてそんな大荷物を?」と思っていたら、生まれたときから使っているボロボロのタオルケットが詰め込まれていて、家族で大笑いした。それがないと旅先で眠れないと思ったんだろう。甘えん坊で、愛嬌があって、とてもかわいい弟だった。

思春期に入ると、弟はあまり家では話さなくなった。どこの家でも男児というのはそういうものらしい。私とふたりきりになると彼女の話などもしてくれていたけれど、親の前では徹底して弟は無口だった。
唯一、弟が饒舌になる瞬間が、酒を飲んだときだった。
私も弟も、酒が好きだ。あとゲームも好きだった。弟が女神転生シリーズを勧めてきて、『ペルソナ』や『ソウルハッカーズ』をプレイした。私が勧めたミステリーもよく読んでくれたけど、私が激推しした島田荘司の『占星術殺人事件』は「『金田一少年の事件簿』と同じじゃん」と言っていて軽く揉めた。あのトリック盗用は罪深いと思う。でも『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』はいたく気に入ったようだった。弟からは中村うさぎの『ゴクドーくん漫遊記』を勧められた。あれ以来、私は中村うさぎのエッセイが大好きだ。
そんなこんなで、酒を飲んでゲームや小説の話をするのが、姉弟の間での数少ないコミュニケーションになっていた。私が家を出て18年、帰省をするたびに弟と遅くまで酒を飲んでいた。

でもここ数年、私が帰省しても弟と会えることが少なくなった。
小学校の教師になった弟は、6年生の担任を連続で受け持ち、とにかく忙しそうだった。本業に加えて県内の複数のサッカーチームの立ち上げや指導なども行っていて、まともに寝る時間もなかったようだ。さらに家に帰れば生後間もない子供がいて、上の子供もまだ7歳と3歳。彼がゆっくり休める場所はどこにもなくて、たまに奥さんに内緒で実家に帰って寝ていたそうだ。なので病気になったときに弟が家族に最初に漏らしたのは、「こげんゆっくり休めたと、久しぶり」だった。
ただ、同僚の先生たちいわく、飲み会だけは付き合いが良かったという。たぶん貯まったストレスをそんな形でしか発散できなかったんだろう。家でも酒の量は多かったらしい。なので、病気になったときにしきりに「自分のせいやけん」と弟は言っていた。酒の量が尋常じゃないのは自覚していたんだと思う。でも、同じくらい飲む人はいくらでもいる。弟が病気になったのは、彼がそこまで休息を必要としていることに誰も気がついてあげられなかったせいだ。もちろん本人のせいでもあるし、周りのせいでもある。

彼の病気が発覚する半年前に、帰省した。このときが、彼と飲んだ最後の酒になった。
そのときも彼は「明日早いけん」とセーブしていたが、とても楽しい酒だった。母が「あんたがそげん酔っぱらったのを初めて見た」と言うくらいには私は上機嫌だったらしい。そのときに弟はちょっとした告白をするが、それは彼に悪いのでここには書かない。ただ、その話を聞いて「そんなこと言わずに頑張りなよ」と無責任なことを言っていた自分を殴りたい。弟は十分頑張っていたのに。逃げてよかったんだ。あのときが、私が唯一受信できた彼からのSOSだった。
あのとき弟はちょっと痩せていて、あとから聞いたら実は既に自覚症状があったのだという。でもそのときは「最近ダイエットしてるけん」といって割れた腹を見せてくれた。とてもきれいなシックスパックが見えた。


実家に着いた。
既に坊さんと葬儀屋さんが着いていた。

見慣れた風景の中に、見慣れない光景があった。
顔に白い布がかかった弟の遺体だった。