弟が死んだ話5

このときから、弟とは頻繁にLINEでやりとりするようになった。
そしてすぐに飛行機のチケットを取り、実家に帰る手配をした。

病床の弟と初めて対面したのはそれからほどなくしてだった。弟は自宅で療養しているといい、実家から徒歩5分の距離にある弟の家へと向かった。
弟の家に着くと、奥さんが出迎えてくれた。弟は1階のベッドの上で寝ていた。
顔は土気色で、顔は頬がこけて目は落ちくぼんでいた。私が知っている弟とはまったく違う姿の弟が、そこにいた。
「久しぶり、来たよ」
動揺しているのを悟られないように笑顔のまま、「大変やったね、大丈夫ね?」と言って、彼のベッドのそばに座った。弟も嬉しそうに笑ってたけど、二人とも言葉が出てこなくて、しばらくふたりで涙を流しながら笑いあった。
弟の声は電話のときと同様、かすれていて今にも消え入りそうだった。

ちょうど薬の時間だったので、ベッドから介助してもらいながら身体を起こした。
弟の背中には床ずれができていて、湿布の張替えも一緒に行った。
背中を見せるときに恥ずかしそうに、「すっかり爺さんみたいな身体になったよ」と弟が言った。
たしかに、あの綺麗なシックスパックを見せてくれた頃とは別人のようだった。たくましかった腕は筋肉が削げ落ちて細くなり、お腹だけが平たくて太かった。『キン肉マン』に出てくるベンキマンのようなシルエットになっていた。
奥さんと母に介助してもらいながら湿布を張りかえ、薬とエビオス錠を飲み、汗をふいてふたたび横になった。たったそれだけの運動なのに、弟の額には汗が浮いて呼吸が乱れていた。
「ちょっと待ってね」と言って、呼吸を整えていた。

弟は最近Surface3を買ったのだと言って、ベッドの隣に置いてあったタブレットを見せてくれた。以前は放置気味だったfacebookのコメントも、最近マメにつけるようになったのは気がついていた。「ゲームはしてるの?」と聞いたら、「今はね、まったくできんね」と言っていた。見る、読む、くらいの単純なことしかできないようだった。長い文章もダメで、本も読めないのだという。

弟は、その翌日に予定していた家族での外食をとても楽しみにしていて、LINEで「何食べる?」としきりに聞いてきていた。
「食べられないものとかないの?」と聞いたが、「いや、大体なんでも食べられるよ」と返ってきた。食欲はあるんだ、とホッとしていた。
でも、それは嘘だった。ほとんど食べられるものがなく、唯一スイカだけが喉を通るのだという。スイカが食べられるとわかる前が一番ひどくて、なにも口にできない日々が続いていた。そのまま餓死するんじゃないかというくらいから持ち直したのは、スイカのお陰だったと母が言っていた。
1時間ほどだったか、ひとしきり話して、弟の部屋を後にした。
彼の現状を理解するには、十分すぎる時間だった。


あの頃、全員が弟のことを想い、心を痛めていた。
だから、それぞれがそれぞれに動きすぎた結果なんだろう。
母のところに、いろんな人から健康食品やら祈祷の話が舞い込んできた。
全部がインチキだとは思わないが、1瓶1万8000円もする水素の粒なんてものが癌を消すとは思えないし、サプリメントが癌の特効薬になるとはまったく思えない。化粧品会社が出している塗り薬が癌に効くなんて、普通の精神だったら信じないだろう。だけれども、藁にもすがる想いだった母は、全部ではないものの結構な種類の健康食品を買い込んでは、弟に飲ませていた。母は本気で、自分の力で弟を治すつもりだったのだ。

私たちが子供の頃に、父がとある宗教に入信した。あの某事件を起こした悪名高き宗教だ。私は面白がって理解を示していたが、冷静な弟は最初から懐疑的だった。そしてバカだった私は友達に宗教の名前を言い、「(弟)のねーちゃんは(某宗教)に出家する」という噂まで学校で流れていたらしく、弟は相当ストレスを感じていたらしい。ちなみに母も一切シャットアウトしていたので、父対母弟、私中立といった様相だった。

父は宗教のほかに、若い頃から東洋占術の気学を学んでいた。
気学というのは方位取りの占いで「こっちの方角は凶方位だから行ってはいけない」「こっちの方角が吉方だ」といったことを押し付ける。
どこかに行きたくても「方位が悪い」といって聞いてもらえないことは日常茶飯事だった。友達と遊びに行っても「〇〇の方角は方位が悪かった」などと後から言い出すから、とても気分が悪かった。
あるとき、弟が「サッカー留学をしたい」と言った。高校でサッカーに目覚めた弟は、サッカー部すらないところから一からチームを作り上げた。環境を整えることに手いっぱいで、選手として成長できる機会は高校では得られなかったから、留学でその機会を得たいと思っていたんだろう。そして父はその熱意を汲んで「いいだろう」と留学を許可した。
……んだけど、その約束はありえない理由で反故にされた。
「方位が悪い」だった。
あのときの弟の落胆ぶりはすごかった。そして、この件については死ぬまで父を許さなかった。
このことが弟の人生をどう変えたかはわからないけれど、あのとき精一杯プレイヤーとして熱意を昇華できていたなら、複数のクラブのコーチを掛け持ちして睡眠時間を削って身体に負担をかけることはなかったかもしれない。

そんなこんなで、弟の宗教やオカルトに対するアレルギーは人一倍だった。
だから、母が必死になって健康食品を勧めてくるのが、嫌で嫌で仕方なかったようだ。
私が「なにかできることはない?」と聞いたときに「いっぱいある」と答えたうちのひとつは、母の興味を逸らしてほしいという意図もあったのかもしれない。